
相変わらず、頑張ってアムウェイを伝えていました。伝えていましたが、やはり圧倒的に、断られることが多くて、いつも凹んでいました。
しかし、伝えないことには、グループが大きくならないので、頑張っていたんですよね。
その頃のMさん
Mさんは、世田谷に家賃18万円のマンションを借りて、ほぼ、そっちに住んでいたんです。
最初は、太田さんとのシェアハウスだと言っていたんですが、泊まりも多いし、入り浸りのような感じだったので、”女ができたな”とピンときました。
Mさんの家族構成は、奥さんと子供二人、Mさんのお母さんの5人家族。奥さんとも良好な関係を持っていたので、奥さんからMさんへの不満も聞いていました。
天野さん、何か聞いてる?と聞かれるんですが、僕も何も聞いていないので、何も聞いてないよとしか言いようがない。
そんな日々がしばらく続いていたんですよね。
離婚
Mさんから、話したいことがあると言われて、指定の場所で話を聞きました。
なんと、20代の保育士の女性と付き合っていること、そして、奥さんと離婚をすることにしたということを聞きました。
僕は、心の中で、好きな人ができるのは、いい、だけど、まず、奥さんと協議離婚をしてから、次の彼女に行くべきだという順番を守るべきだと思ったので、思い切って、Mさんに言いました。
するとMさんは、好きになっちゃったから仕方がない、というんですよ。はあ?40代にもなって、好きになったから仕方がないって、どういうこと?と思いましたが、グッと堪えて話を聞きました。
そして、離婚したら、奥さんは、松本の実家の近くにアパートを借りて、子供たちと3人で暮らすことになると言い切ります。
さらに、アムウェイからいただいているボーナスも折半するとも言う。3000万円のボーナスがありましたから、折半すれば金銭的な問題は解決するだろうとも。
奥さん気が狂う
結局、数ヶ月経ち、奥さんは離婚して、子供たちと松本で暮らすようになります。
しかし、奥さんの精神は、ボロボロになってしまい、僕にもガンガン時間を問わずに電話をしてくる。
気が狂ってしまったとしか言いようがないほどでした。
僕たち夫婦は、二人の子供達が心配でたまらなかったことを今でもよく覚えています。
続く