【アムウェイ連載ストーリー03】アップラインのMさんとアムウェイを伝えにいくも撃沈・・・

アムウェイ挫折

 

今日は、地元の友人たちに、ビジネスプランを伝えに行った話を中心に書いていきますね。

リストを片手にして、電話を掛けまくっても、なかなかアポイントが取れませんでした。僕は、アムウェイの話をしたいと言うんですが、みんな口を揃えて、アムウェイの話だけは聞きたくないと言うんです。

Mさんは、大事な話がある、と言う切り口でもいいよ。ただし、僕も一緒だから、3人で会いたいと言って欲しいと言われました。

横浜の友人たちに

僕は、横浜生まれの横浜育ちなので、横浜に、気心の知れた友人がたくさんいました。そんな中で、一番の仲良しである、俊夫くんがいたんですね。

俊夫くんとは、一緒によくお酒を飲みましたし、たくさん遊んでいたんですよね。だから、話を聞いてもいいと言ってくれたんです。

Mさんと二人で俊夫くんの家までいき、Mさんがビジネスプランの話をしてくれました。Mさんが一生懸命に話をしている中、俊夫くんは、顔色ひとつ変えずに聞いていました。そして、最後に、どう思いますか?と聞いたら、アムウェイのビジネスプランは、わかったけど、無理だね、と。

一番の仲良しがやってくれないと言うのは、大きなショックでしたし、僕の心の中で暗雲が広がっていったのをよく覚えています。

アムウェイをわかってくれる人と友達になればいい

俊夫くんの家からの帰り道、僕は、落ち込んでいました。

すると、Mさん、これからアムウェイで知り合った人たちが、本当の友達になるから、気にしない方がいいと言うんです。

ネットワークビジネスですから、これから出会う人も出てくるでしょう。でも、友人に断られると言うのは、心が痛いんですよね。

それでも、勇気を振り絞って、何人かに声をかけていったんです。

コツコツと取り組みなんとかSP達成

僕は、息子がスキー選手だったこともあり、息子に、アムウェイの健康食品を食べさせていました。

すると、他の親御さんたちも、うちの子にも食べさせたいと言う話がいくつか重なり、サプリメント類だけで、まあまあの数字になっていきました。

登録して1年過ぎた頃からは、僕自身もビジネスプランを話せるようにもなり、鍋デモもできるようになっていたんですよね。

取り組み始めて、1年ちょっと経った3月には、なんとか、150万pvを達成して、SPというタイトルも取れたんです。

取れたんですが、10万pvぐらい足らないので、鍋セットを一つ自家消費?自家購入?して、帳尻を合わせたと記憶しています。

どんどん自家消費、自家購入が増える

一度、SPになってしまうと、それを継続させるように、Mさんに言われました。よく覚えている言葉は、1回150万pvに行ったのは、まぐれでも、3回続ければ、それは実力だという言葉でした。

確かにその通りなんだけど、グルプ人数は、変わらないわけですよ。変わらないから、自家購入が増えてしまう。

なので、2回は、なんとか、150万pvをクリアしたけど、3回目は、もう、商品を買い込むことができなかったんです。そこで、半分気持ちが切れたのも事実ではありますが、それなりの報酬は入っていたので、もう少しこのまま頑張ろうと思っていた時期だったと思います。

横浜東京でアポイントを取り続ける

そんな中、相変わらず、横浜には通っていました。時には、Mさんと二人でホテルに泊まったこともありました。

横浜では、Mさん系列の保育士軍団がいて、保育士ですから、若い女性も多く、このグループは、活気に満ち溢れていたんですよね。

正直、僕は、冷めているというか、若い人たちの熱い想いについていけない自分がいることにも気づいていたんですけど、自分の人生を変えるためには、アムウェイしかないだろうと思っていたので、気持ちをを振り絞っていたんですよね。

セミナーとか、ラリーとか

Mさんから、セミナーとか、ラリーとかに行くように言われていました。

澁谷本社にあるセミナーは、無料?だったと思うので、横浜東京に行くときに、いい感じのセミナーがあれば、参加していました。

セミナー終了後に、ハロートークというのがあって、エグゼクティブダイヤモンドのMさんは、大抵、最後の方に登壇するんです。

登壇するMさんは、セミナーに参加しているみなさんから、大尊敬の眼差しと拍手で迎えられるんです。

僕にとっては、普段のMさんからはかけ離れた感じだったので、違和感しかなかったのをよく覚えていますが、Mさんは、アムウェイでは重鎮なんだなと再確認したものです。

続く

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