【不労所得】アムフェイを始めたきっかけ(その6)

きっかけ

Mさんから、ラリーやセミナーには、どんどん行ったほうがいいと言われていました。

私は、交通費も宿泊費もかかってしまうので、もう少し報酬が上がったら行きたいと心の中で思っていたんです。

しかし、Mさんは、

セミナーは、ガソリンなんだよね。ガソリンを入れないと車って走れないでしょ?

って言うんです。

確かにその通りだとは思いました。しかし、タイトルホルダーの方のセミナーに行っても、冷めた目で見ている自分がいるんですよね。

そうは言ってもいくつか大きなラリーは行った

自営業の仕事をしていたので、仕事がある時は、体よくセミナーに行くのを断っていました。

しかし、クリスマスラリーだけは、絶対にマストだと言われたんですよ。

その年のクリスマスラリーは、横浜みなとみらいの大きな会場でした。

登壇する人は、ダブルダイヤモンド以上だったかな?そして、最後に登壇するのが、中島薫さんでした。

中島さんは、話は面白いし、何よりも体験談がすごいんですよね。

話によると、当時は、洗剤ぐらいしか製品がなくて、それをキャリーケースに入れて、毎日のように運んだそうなんです。

で、ダイヤモンドというタイトルになった時に、初めて車を購入したと。

それまでは、電車に乗って、バスに乗って、スポンサリングをしていたとも言っていました。

中島さんは、40系列以上の成功者を出しているので、説得力がありましたね。

ラリーでも冷めていた

そんな中島さんの話は、面白いんですが、そこまでできたのは、時代背景もあるし、中島さんだからできたんでしょ、って思ってしまう。

それを正直に、Mさんに話をしたら、全世界のアムウェイで一番スポンサリングに失敗しているのは、中島さんなんだよ、と言うんです。

私は、スポンサリングをして断られるのが、怖いわけです。

でも、中島さんは、断られたとしても、その人には、話が通じないだけであり、自分が成功すれば、いつかは、やってくれると思っていたそうです。

やらかしている連中がいるから

時代背景が違うと書きましたが、中島さんがアムウェイを始めた時、世間の人は、アムウェイのことを全く知らなかったわけです。

アメリカから来た情報として、新しいマーケティングとして、伝えることができていた。

しかし、現在の日本では、アムウェイというのは、法律を守らない集団という「常識」が根付いてしまっている。

だから、無垢の人やそのような常識を知らない人を探すというか、そういう人じゃないと、邪念が入ってしまうので、伝わらないわけです。

Mさんは、20年以上もアムウェイに浸かっているのから、その辺りの感覚が、一般人レベルでは理解できなかったんだと思います。

「アムウェイビジネスを始めたきっかけ」リンク集

【不労所得】アムウェイを始めたきっかけ

【不労所得】アムウェイを始めたきっかけ(その2)

【不労所得を目指したけど】アムウェイを始めたきっかけ(その3)

【不労所得】アムウェイを始めたきっかけ(その4)

【不労所得】アムフェイを始めたきっかけ(その5

【不労所得】アムウェイを始めたきっかけ(その7)

【アムウェイに挫折】そんな私が取り組んでいる「シン・MLM」

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