Mさんから、ラリーやセミナーには、どんどん行ったほうがいいと言われていました。
私は、交通費も宿泊費もかかってしまうので、もう少し報酬が上がったら行きたいと心の中で思っていたんです。
しかし、Mさんは、
セミナーは、ガソリンなんだよね。ガソリンを入れないと車って走れないでしょ?
って言うんです。
確かにその通りだとは思いました。しかし、タイトルホルダーの方のセミナーに行っても、冷めた目で見ている自分がいるんですよね。
そうは言ってもいくつか大きなラリーは行った
自営業の仕事をしていたので、仕事がある時は、体よくセミナーに行くのを断っていました。
しかし、クリスマスラリーだけは、絶対にマストだと言われたんですよ。
その年のクリスマスラリーは、横浜みなとみらいの大きな会場でした。
登壇する人は、ダブルダイヤモンド以上だったかな?そして、最後に登壇するのが、中島薫さんでした。
中島さんは、話は面白いし、何よりも体験談がすごいんですよね。
話によると、当時は、洗剤ぐらいしか製品がなくて、それをキャリーケースに入れて、毎日のように運んだそうなんです。
で、ダイヤモンドというタイトルになった時に、初めて車を購入したと。
それまでは、電車に乗って、バスに乗って、スポンサリングをしていたとも言っていました。
中島さんは、40系列以上の成功者を出しているので、説得力がありましたね。
ラリーでも冷めていた
そんな中島さんの話は、面白いんですが、そこまでできたのは、時代背景もあるし、中島さんだからできたんでしょ、って思ってしまう。
それを正直に、Mさんに話をしたら、全世界のアムウェイで一番スポンサリングに失敗しているのは、中島さんなんだよ、と言うんです。
私は、スポンサリングをして断られるのが、怖いわけです。
でも、中島さんは、断られたとしても、その人には、話が通じないだけであり、自分が成功すれば、いつかは、やってくれると思っていたそうです。
やらかしている連中がいるから
時代背景が違うと書きましたが、中島さんがアムウェイを始めた時、世間の人は、アムウェイのことを全く知らなかったわけです。
アメリカから来た情報として、新しいマーケティングとして、伝えることができていた。
しかし、現在の日本では、アムウェイというのは、法律を守らない集団という「常識」が根付いてしまっている。
だから、無垢の人やそのような常識を知らない人を探すというか、そういう人じゃないと、邪念が入ってしまうので、伝わらないわけです。
Mさんは、20年以上もアムウェイに浸かっているのから、その辺りの感覚が、一般人レベルでは理解できなかったんだと思います。
「アムウェイビジネスを始めたきっかけ」リンク集
【不労所得を目指したけど】アムウェイを始めたきっかけ(その3)